(1)津波の石碑は何を伝えようとしているのか(掟)
大津波記念碑
高き住居は 児孫の和楽 想へ惨禍の 大津波 此処より下に 家を建てるな

高台にある家は子孫に平和と幸福をもたらす、と記された碑は、岩手県宮古市姉吉地区に残り,昭和三陸大津波の後に津波の教訓が記された石碑。風化した石碑に刻まれた大津波の教訓がリアス式海岸に住む人に先人の警告を静かに伝えていた。
2011年3月11日。

(2)掟を破るとどうなるのか
宮城県石巻市立小学校の惨事
2011年3月11日。午後2時46分の地震発生から50分間、児童等は校庭で待機していた。意志決定が遅れてパニックになり避難ルートの判断を誤った。非難に使えたのは1分間、校舎の裏山でなく近くの川沿いにある高さ7メートル程の小高い場所に向った。川を遡上した津波が一帯をのみ込んだ。犠牲者は児童74人と教職員10人が亡くなった。やがて訴訟になり、最高裁はおととし、学校側の過失を認めた。「裏山に登る」のは並大抵であるまい。それを克服するすべを探れと、大川小の84人は訴えていよう。あれだけ手痛い教訓を得ながら、県教委は公立学校の新任校長向けの防災研修を初めて大川小で開いたのは、なんと9年後の20年11月のことであった。

(3) 形の意味とは
翻って無傳塾の形(づくり)について言及します。先ずは形で受け形で投げよ。受け感覚を最も大事にしている。普通の人なら自分の受け(投げられる人)よりも取り(技を掛ける人)の投げる方が好きなので,受けに回るのはいやだと言う人が多い傾向にある。無傳塾は全くその逆で、受けの方が大事なのである。
飯田の某先生は絶対に手を取らせてくれなかった。でも是が古流の斯界なのです。手の内は見せないというのが古流のやり方なのです。

感覚である五感を大事にしている無傳塾の合氣の技は先のコラム(KIYOMIの徳利投げ)アイルランドセミナーの記事の中で言及しています。彼女は合氣が身体に入ってくるのを感じとるのに2年ほどかかった。と言っております。これを無傳塾では「合氣の回路」が出来てきたと言います。こと左様に受け感覚が大事になります。無傳塾の技はとても自然体(SimplisTheBest)です。千変万化即位即妙の技であります。形と言えば鋳型にはめた堅いイメージを持つ方が多いと想いますが無傳塾の合氣はとてもやわらかい技であります。

無傳塾の合氣の修行(合氣体づくり)階梯
型(大東流柔術)_形(合氣柔術)_内観(合氣之術,空洞、筒の原理)
へ移行し発展していきます。この型(形)を徹頭徹尾やり通した先に獲得できるものです。この道具(手段)が形稽古になります。故に形稽古が感覚をブラッシュアップして合氣体をつくり上げていくのです。

型(形)とは先人達が命がけで体験して悟ったものを形にして作り上げたもの。だから感謝して大事に守らないといけないものです。当無傳塾はこの形を墨守し実践しています。それをある一部の方がこの形を自分なりに解釈してやりやすい、心地よい方法でやっていては,命は落とさないまでも確実に技の質が低下するし,またその上達の進捗度合が遅くなるのは必定である。

かたや型(形)も時代にあったものを採り入れて行く必要は否めない。
不易流行
である。
墨守

座取合氣絞三人同時投げ
内の流儀である「力を出さない 力を伝えない 何もしない」の具現化がこの技になりました。もっといい合氣をつくろうこの技をもって無傳の合氣(Daito-ryu muden no aiki)と命名し、初山別 Mystars System に登録(2014.6.5)しました。

大東流無傳塾飯田の師匠である永世名人位免許皆伝師範堀川幸道翁が米寿の祝いの御席で演武されたこの技を再現しました。これが本物の合氣であります。植芝盛平翁は態(わざ)とらしいものこそが本物といっておられます。これが体操で言うところのウルトラCという技に当たります。

MUDEN NO Aiki

18回演武会後技両手摑み合氣腰投げ181027(76)
後ろから両手を摑まれた、瞬時に腰に抱きつかせ腰合氣を使い投げている。
MUDEN NO Aiki

此処でお勧めのビデオを紹介します。別のMUDENJUKUのサイトでは多くの動画を見ることが出来ます。

大東流無傳塾飯田宏雄師範 奥義!触れ即合氣

受け継がれる達人技 触れ即合気

2021年3月25日

いい氣 いい出会い いい仲間づくり
Good energy  Good enccounters Good relationships
合氣護身術大東流無傳塾
塾長・最高師範 飯田 宏雄