大東流を修行して自分をみつめる
永世名人位 堀川幸道師範に思いを馳せて 伝承とは?(合気の伝承とは?)

塾生某氏

巷には合気を謳う会派が多数存在するが、本物の合気をその会派において身をもって体現できる人間は極めて少ない。飯田先生はその数少ない一人であるが、なぜそのような差が生じるのか?その理由を知るためには、無傳塾の流儀と他会派の流儀との違いは一体何なのか?飯田先生の思想とは一体何なのか?を理解することがどうしても必要である。すなわち、飯田先生からの言葉や技がどのような背景をもって今に表現されているのか?そのひとつひとつに耳を傾け、感じ取り、考察していかない限り、本物の合気習得は困難であるということである。人間は自分の知識・経験の範囲内でしか、物事をとらえることができない。具体的な指導内容は割愛するが、先生からの言葉・指導があれば、自分の拙い考えを引き合いに出さず、先生がなぜそのように言うのか?なぜそのように指導されるのか?自分とは何が異なるのか?を本気で考え、たとえ今その答えが分からないとしてもそれを信じて自分の心と身体が納得し腑に落ちるまで純粋に先生の言うことをなぞり実践し続けることが肝要である。難しいことではあるが、それこそが先生の心を理解するということであり、ひいては合気をつかむための近道となるのである。

飯田先生は、堀川幸道先生を目指し、幸道会の厳しい環境の中で客観的に自分自身を見つめ、堀川先生の技と思想の本質は何たるかを試行錯誤し、ひたすら謙虚に修行を積み重ねてきた。そして自分勝手な解釈をすることなく、堀川先生の「流儀」を自分に落とし込むことを徹底してきた。その飯田先生の非凡な努力の結果が今の先生の合気であり、生き方そのものなのである。もし、飯田先生が堀川先生の流儀を蔑ろにし、技法だけを単に追いかけていれば、決して今のような素晴らしい合気を体現することはできなかったに違いない。飯田先生は堀川幸道先生の素晴らしい合気を求めて、半世紀もの間、努力を積み重ね、更に留まることなく今もなお修行を続けているのである。

飯田先生の「負けるが勝ち」
という言葉がある。これは単に努力も何もせず負けてしまうという安易な逃げの姿勢をあらわしているのでは決してない。本当の意味は、「たとえ今の自分にはできなくても、本質ではない様々な感情や誘惑に負けることなく、合気技法の揺るぎない基本と本質を理解するまでは、他人に理解されず馬鹿にされても、それに耐え、忍び、信念をもって努力をひたすら積み重ねる。」という猛烈な覚悟のもとにある言葉なのだ。この思想は合気をつかむための重要なヒントになっており、そして今もなお進化し続ける飯田先生の合気の技法を支える土台のひとつである。武術である以上、説得力のある結果を今すぐ求めたくなる。外見で明らかに分かる速さ・強さのある技法に目がいってしまう。また、過去の自分の成功体験・失敗体験から、強くなければならない。負けてはならない。認められたい。という気持ちが噴き出してくる。そして未来に対する恐れから、失敗したらどうしよう。認められなかったらどうしよう。いやな思いをしたくない。などの思考が次々と自分の心の中に押し寄せてくる。しかし、これらの自分の中に湧き上がる画餅に帰すものにとらわれてしまえば、すぐに基本・本質とは何かを見失ってしまう。更に、堀川先生・飯田先生のその心を理解せず、技法ばかりにとらわれ、自分の勝手な解釈が入れば、すぐに本物の合気の道から逸れてしまい、誤った方向に行ってしまう怖さがあるのだ。その誤った方向では、何十年必死に努力を続けても本物の合気を体得することができないという厳しさがあるということである。

伝承とは「その技術とともにその心も引き継がれるもの」であって、看板や段位や免状などでは決してないのである。これは大袈裟な話ではない。自分では合気の技を修行してきたつもりでも、仏作って魂入らずの如く全くの別物になってしまっていることに気付かないのである。唯一、連綿脈々と続く堀川先生・飯田先生の流儀があるからこそ誇り高き本物の合気技法とその心を学ぶことができるのである。だからこそ、塾生としてこの流儀を真摯にそして注意深く守り続け徹底的に実践し続けていかなければならない責務がある。その責務を全うすることで自分の過去のとらわれや未来への恐れから開放され、ひいては今この瞬間を感じ、この瞬間に集中できる心と体を自然と養い、それが本物の合気技法
を形づくっていくものであると確信している。堀川先生・飯田先生の心と技を学べることに感謝
し、誇りをもって、これからもひたすら謙虚
に一生かけて学んでいく覚悟
である。

二人捕諸手摑み合氣同時二人前方投げ05529(63)
柔(Yawara)でやると、とても重く難しい面があるが合氣を掛けてやると軽く二人同時に釣り上げることができ容易に投げることが出来る。まだ合氣が出来ない頃は一人づつ、やっと釣り上げて一人づつ投げていた。又合氣が掛かるととても苦しく大きな声を発することがあり、合氣が掛かっている証左と言える。ここに合氣の優位性がある。
MUDEN NO Aiki
合氣柔術無傳塾 飯田宏雄

2021年11月5日
いい氣 いい出会い いい仲間づくり
Good energy  Good enccounters Good relationships
合氣護身術大東流無傳塾
塾長・最高師範 飯田 宏雄

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